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人質殺害事件に思うこと。 


2015.02.03(Tue)

 1日の未明、湯川遥菜さんに続いてジャーナリスト後藤健二さんが殺害された。湯川さん殺害のニュースに接して、日本人の誰もがせめて後藤さんだけでも無事帰国して欲しいと切に願っていたはずだ。しかしそれが叶わなくなってしまったのだ。私自身まだ気持ちの整理をつけることが出来ない。ISISのやっていることはどのような口実を設けようと許されるべきことではない。二人の死に対して深く哀悼の意を表したい。
 言うまでもないことだが、世界各地で起きていることを我々が瞬時に知ることが出来るのはジャーナリストがいるからである。戦争や紛争、テロリズムが今、世界を覆い尽くそうとしている。命の危険を顧みず、彼らが報道してくれるからこそ、我々は自ら危険に会わずしても、そうした悲惨な状況を知ることが出来る。使命感、義務感、正義感、或は功名心。彼らを突き動かす理由は様々あるだろうが、彼らの仕事がなかったとしたらどうだろうか。何も知らされないことがどういった結果をもたらすか、我々はそれを4年前に痛いほど味わったのではなかったか。情報や知識が多ければ多いほど物事に対して正確な判断が出来る。ジャーナリズムは民主主義の根幹を成すものとしてある。
 ところで、日本は極東の島国、先進国としては極めて特異な地理上にある。その地理的な特殊性ゆえ、今まで世界の(過酷な)情勢からある程度の距離をとっていられたに違いない。だから日本人の多くは、地続きの国境をもつ多くの国々の民が当たり前のこととして持っているであろうある種の緊張感とは無縁であり、危機に対していささか目が曇っていることは否めない。紛争各地域を精力的に取材し、危機管理に関しては相当の経験を詰んだ後藤健二さんでさえ日本人特有のナイーヴさから逃れることは出来なかったのではないだろうか。後藤さんの判断の中に甘いものがあったとして、我々がそれを責めることは出来ないはずである。まして状況というのは刻々と変化する。ある時点では比較的安全だった地域が次には危険極まりない地域になっていることだってあるのだ。彼の人となりを知るにつけ彼が本当に心優しい人であったことが判る。紛争地域で暮らす子供たちに深く気持ちを寄せていたようだ。皮肉なことに、最終的に人は信じるに足る生き物である、という思いが彼を窮地に追い込んでしまったとのではないかという気がする。
 そうした彼の生き方の対極にあるのが安倍晋三を筆頭とする「ネオコン一味」ではないか、と私は考えている。残念ながら安倍は一国の代表としては単純すぎるし、弱者に対する眼差しが決定的に欠けている。しかも歴史に対する謙虚さが足りないから、未だに、エコノミックアニマルと揶揄された時代の感覚で国の舵を取ろうとしている。(・・・彼の出自からすれば詮無きものかも知れないが。)二人もの同胞を人質に取られながら、あのタイミングでの原発などの売り込みとその見返りとして支援を表明したことでテロリストには過ったメッセージを送ることになったのではなかったか。フランスでテロが起きた直後のことである。それを日本(安倍自身と言い換えるべきかも知れない)を中東に売り込むチャンスと捉えたなら、その時点で、二人の邦人を見捨てたことになる。後で慌てて「人道」の文言を付け加えたが「ISILと闘う周辺各国に、総額で2億ドル程度、支援をお約束します」がどのように捉えられるか判らなかったとしたらあまりに浅はかである。
 今後の政府の対応次第では日本人が更なるリスクを背負うことになる。無論、随分前からイスラム過激派にとって日本は標的であった。しかしその優先順位は決して高くはなかったはずだ。欧米各国とは微妙な距離感があったと言うべきだろう。ISISの戦略に乗せられることをすべきではないけれど、彼らをことさら刺激することが正しい道であるとは思わない。欧米各国におもねって軽々に「罪を償わさせる」などと言うべきではなかったと思う。そもそも、世界の警察を自負する米国でさえ手出し出来ない状況で、どのように罪を償わせるというのか。そこに安部の無邪気な覇権主義信奉をかいま見ることが出来る。覇権主義に対抗するために自ら覇権主義の道を取ることは愚かなことだと思う。ISISの論理と何ら変わることがないではないか。アジアの片隅で資源も乏しい国が取るべき最良の道は全方位外交しかないと、昔、教わったことがある。まだ日本が戦争の記憶と向き合っていた頃には、そうした真っ当な考え方が主流だったように思う。地理的な特殊性は即ちその国の独自性である。一部世界の潮流に乗っかることは自らのアイデンティティーを捨て去ることである。
 恐怖による人心のコントロールがテロリズムの定義だとすれば、国家もまたその芽を孕んでいることを我々は自覚しなければならない。「人間がおこなうとは思えない行為」もまた人間がしている事に変わりはない。人間はおかれた状況によって悪魔にも天使にもなり得るのだ。ISISはこの上ないほど極端ではあるが特殊な事例であるとは考えない方が良い。いずれにせよ、恐怖によって人を完全に統治することは出来ない。過激主義の末路は決まっている。やがて内部から崩壊して行くに違いない。だが時間はかかる。長い時間軸の中でみれば世界は少しづつ善い方向に向かっている。短気を起こすべきではない。実時間を基準にすれば功利主義に陥ることは明白である。反知性主義、ポピュリズムが世界的な潮流だと言うが、例えばトマ・ピケティの「21世紀の資本」が世界的なベストセラーになったことなどを考えれば、希望はある。テロリズムを防ぐために我々に出来ることがあるとすれば、それは、個々人が正しい知識を持つこと以外にない。正しい知識こそが感情と理性の調和を担保する。
 後藤さんの仕事を忘れないでいよう。それが彼の鎮魂となる。

(※湯川さんの死についてはまだ上手く整理出来ていない。申し訳ないと思う。人の命の重さに変わりはないはずだが、どうしても後藤さんと比較してしまうのだ。私の中にある偏見が邪魔をしているのだと思う。だが彼の冥福を祈る気持ちに変わりはない。)

category: 日々是好日 Days

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イスラム原理主義 


2015.01.21(Wed)

昨夜、盟友のKさんから深刻な声で電話があった。
講義中だったこともあり一旦電話を切った。
気にかかっていたこともあり、学校を出るなりすぐさま折り返し電話をしたのだが、どうも話の要領を得ない。その時点で僕はニュースを見ていなかったので、事情が解らぬまま彼の性急な話を聴いた。
話を繋ぎ合わせて、どうにかKさんが言っていることが判った。
イスラム国が日本人を人質にとった映像が流れ、それがどうも合成らしいで、その可能性があるかどうかを専門家の意見として聞きたいということだった。Kさんとてその真贋を知ることが重要なことでないことは判ってただろう。こうした衝撃的なニュースが流れ、多少混乱していたのだと思う。
イスラム原理主義に対する僕なりの意見を聞きたいということだったように理解して、彼にメールを送った。
まだ彼に承諾をとった訳ではないが、僕なりの意見を表明しておく意味でそのメールをここに転載することにした。
Kさん、事後承諾済みません。

「Kさん

ようやく何が起こっていたのか知ることが出来ました。
あの映像は合成で間違いないです。
ただそれは本質的なことではありませんよね。
そこから導きだせる幽かな希望にすがりつくことからは日本人が措かれた立場を正しく理解することは出来ません。認識すべきは、彼らにとっては我々日本人もまた欧米と同様、標的であると言うことです。彼らとて日本が今まで中東でどのようなことをして来たかは知っているはずです。にも拘らず、安部のイスラエルでのパフォーマンスや演説が彼らに身代金要求の口実を与えたというのが冷静な見方だと思います。
惨いようですが、二人が解放されるということは日本の国際的信用が地に落ちるということです。日本政府が何も出来ないまま、時間切れを迎えるのではないかと憂慮しています。我々を後戻り出来ない地点に追い込んだのは、言うまでもなく、安倍一派(ネオコン)です。
ISIS側も日本がすんなりと2億ドルを支払うとは思っていないはずです。身代金交渉に持ち込めれば儲け物ぐらいにしか考えていないのではないでしょうか。彼らにとって人質(異教徒)の命とはその程度のものでしかありません。


弱者は更に弱いものを餌食として生き延びようとするものです。宗教解釈はそんな人たちにとっては格好の言い訳です。残虐さを剥き出しにしてもなお、若者を惹き付けて止まない理由はそこにあるのではないかと思います。大義名分が、自分たちの弱い立場を逆転するために講じられるあらゆる手段を正当化する。テロリズムのテロリズムたる所以です。そして、人間が一旦、ひとつのものの見方に凝り固まった時、どんな酷いことでもしでかすのだということはホロコーストやオウムの事件を引き合いに出すまでもないことです。ですからイスラム原理主義者とISISの問題は単なる宗教問題(これはこれでかなり深刻ですが)を越えて、もっと根深い禍根を全世界に投げかけているではないかと思います。

西欧主導の貨幣崇拝(グローバリズム)が究極的の差別を生み出していること、そしてその格差拡大が資本主義の終焉を導くであろうと僕は考えています。イスラム過激派の思想がその代替品であっては成らないと思いますが、
グローバル資本主義に取って代わるものが見当たらない現状では、イスラム原理主義がまだまだ拡大を続けるのではないかと懸念しています。
今のような混乱期を抜け出して、新たな秩序が生まれるまでには相当の時間がかかります。還暦を目前に控えた僕には新しいものを生み出す力はもう残っていません。若い人たちを信じるしかありませんし、信じています。
ですから、今のところ自分としては、淡々と、粛々と生きて永らえていくしか手立てはないのではないかと思っています。」

僕は、それがどのような高邁な理想を語っていようと、あらゆる原理主義を認めるべきではないと考えています。

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謹賀新年。 


2015.01.01(Thu)

2015年賀状
年々、世の中が生き辛いものになって行くような気がする。そう思わせる原因はひとつだけではない。倩倩考えるけれど結局、我が身をそれに合わせることも出来ないまま世界の秩序が変わってしまったのだろう。けれど変わらないものもあるはずで、しかも頭も固くなっしまった今となっては、世の動きとは一歩身を引いているのが好さそうなのである。電脳空間に留まるのもそこそこにしようと決めている。一人暮らし故、安否確認のため更新をする事はするので、まぁ何とも宙ぶらりんな状態であるがご容赦下され。
とまれ、今年が皆様にとって善き年でありますよう。

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”YES OR DIE” 


2014.11.05(Wed)

 脳腫瘍を患い余命宣告され安楽死を選んだ女性がいる一方で、同じ情況下、最期まで頑張ると宣言する若い女性がいる。19歳のローレン・ヒルさん。女子大学生バスケットボールリーグの公式戦に出場したという。よく生きるということにおいてはどちらの女性も称賛に値する。どちらの判断が優れているなどとは誰にも言えまい。おそらく、人は死を目前にして初めて自分の生と真っ向から向き合うことができる。
 僕が言いたいのは次の一点である。”YES OR DIE”と迫られた時に”NO”と答えられる勇気を持てるかと。死を賭しても守るべき何ものかを果たして自分は持っているかということである。己の尊厳を保つというのはそういうことなのだろう。そしてそれが真の意味での自由ということではないだろうか。あの日、気付かされていながらすっかり忘れかけていたこと。それをこの勇気ある二人の女性から再び思い起こさせてもらった。

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よく生きる権利、よく死ぬ権利。 


2014.11.04(Tue)

 米国オレゴン州で、末期がんの若い女性が医師の処方した薬を服用し、家族に見守られて亡くなった。悪性の脳腫瘍であるなら、苦痛を伴わずとも、そのうち意識障害があらわれ自分が誰であるかも判らなくなる可能性がある。最期の段階で自分自身を失ってしまうことは死そのものと同等、あるいは、より受け入れ難いことではないのか。そう考えることに不合理なことは無い。がん治療は過酷なものだ。それによって、身体はもちろんのこと、心までずたずたにされてしまう。
 ブリタニー・メイナードさんの選択は想像も出来ないほど辛いものであったと思う。選択肢は極めて限られていた。もし彼女が別の選択をしたらどうだったかと問うことはさして意味があるとは思えない。どちらを選んだとしても、彼女は人としての尊厳を最期まで守り切っただろう。僕は素直に彼女を賞賛したいと思っている。一日でも長く生きるべきだ、などと簡単に言ってしまう人はその浅はかな考えを恥じるべきだ。
 生まれた時から死を定められた人間にとって、よく生きることは、即ち、よく死ぬることである。人間の尊厳を考えた時、同時に、人間らしい死がどのようなものであるべきかと考えざるを得ない。誰しもその生を全うして死ねるに越したことは無い。けれど、大方は寿命がつきる前に何らかの形で死を迎えざるを得ないのが現実であろう。病死、事故死、自死、、、いろいろな死に様があるが、人はその形態を選ぶことは出来ない。(自死すらそのほとんどはそこに追いやられた結果である。)中には、独裁者や原理主義者、或は短絡的な思考を持つ者などによってもたらされる、どう考えても理不尽な死がある。戦争、虐殺、殺人、死刑等々。
 「ニンゲンは犬に食われるほど自由だ。」という藤原新也の言葉を思い浮かべる。人は死(自然)の前では普く平等であるのだ。生きていれば如何なる死に様もその可能性を排除出来ない。けれど、少なくとも誰もがメイナードさんが取り得たような尊厳ある死を迎えられる世の中であって欲しい。よく生きられる社会あってこそ、人としての尊厳が守られるのだ。私やあなたを取り巻く環境がこれ以上悪化しなければいいと思う。けれども見回せば世の中はほとほと荒んではいやしまいか。

category: 日々是好日 Days

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