06/ 1. 2. 3. 4. 5. 6. 7. 8. 9. 10. 11. 12. 13. 14. 15. 16. 17. 18. 19. 20. 21. 22. 23. 24. 25. 26. 27. 28. 29. 30. 31./08

スポンサーサイト 


--.--.--(--)

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

category: スポンサー広告

trackback -- |comment -- | 記事編集

go page top

『アラビアのロレンス』をテキストとして~北原さんへのメール。["Lawrence of Arabia" to be a text~Mail to Mr.Kitahara.] 


2009.02.06(Fri)

技術者であるということは、結局のところ、現代においてはコストパフォーマンスと不可分な存在では居られません。あの当時、F・ヤングとN・ローグに躊躇があったかどうか。コスト面では然程なかったと推察しますが、他の面に関して言えばやはりそれはあったと思います。(例えばあの当時のカメラの大きさ重さなど考えたら砂漠での撮影自体を躊躇しますよ)それでもあの砂漠であの引き画を撮ったということは、制作に拘った人々がそれをすべき理由を見つけたからです。素っ気ないようですが、それだけのことだと思います。
撮影というのは常に選択です。(どの部署でも変りませんが)上に立つ者ほど究極の選択を迫られます。その決断が正しく出来る人だけがキャメラマンとして残っていきます。非効率的でもそれをした方が良いか、それをせずともクオリティを保てるのか、クオリティを犠牲にしても効率的に進める(=スタッフを守り、予算を守る)べきか、ああすればよかったなどは後からの話であって、その場その場で下した判断はその時点では(彼/彼女の中では)ベストです。
クオリティを保つことが技術者のなすべきことの第一であるというのは大前提です。しかし総ての面でそれが出来るのはほんの一握りのクリエイターであって、それは才能と同時に幸運/時運にも恵まれた人たちです。多くの技術者は、夫々のレベルに応じて、多かれ少なかれ何らかの妥協をしています。(残念なことに、妥協させられていることにすら気が付かない人もいますが・・・。)
映像に対する「態度と配慮」が正確に何をさしているのかは掴みかねていますので、私なりの解釈で筆を進めます。技術の進歩と比例するように人と人との繋がりが希薄になってしまったことは確かです。技術の進歩とは人が「それ」をわざわざしなくとも済むようになるということです。それによって、人により深く考える余裕が生まれるかといえばそのようなことはなくて、寧ろ更に楽になるような方向へと考えが流れていきます。そして人の力を借りなければ出来なかったことが比較的簡単に出来るようになると、他者を説得する手間を省くようになります。そこには映像を作り上げていくダイナミズムは生まれようもなく、映像は極めて精巧にその手抜きを反映しますから、映像はどんどん痩せ細っていきます。それでも優秀なクリエイターたちであるなら、その時代の要請に則って、「態度と配慮」を実行しているとは考えませんか?全体のレベルを問題にしても仕方のないことです。ある一定の量が満たされれば、その中の数%は、確実に過去の名作と比べても退けをとるものではないでしょう。また、そう信じなければ仕事など出来ません。
おそらく、僕ら(敢えてそう言わせてもらいますが)のような映画史に取り込まれてしまった人間が理解しにくいのは、映画史と無関係でいた人たちの映像が多く存在していると言うことです。そしてそんな彼らがまた新たな映画史を創ろうとしていることに対する戸惑いでしょう。紀里谷氏を引き合いに出したのは※そういうことです。予告編を見る限り彼の“映画”に映画が百年の間に獲得してきたものに対するリスペクトは何処にも見受けられません。僕があまり知らないTVやアニメやゲームなどが彼の創造の源なのでしょう。
今僕がこの大転換期に際して心していることは新しい技術を恐れないということです。技術者にとって一番の問題は原理主義的な態度に出ることだと思っています。僕たちはどちらかに留まっていてはいけないのです。新たな何かが生まれるのは何かと何かが衝突したときです。人と人が、技術と技術が、あるいは技術と人が出会うことでしかCREATIVITYは獲得出来ない。僕はどちらかと言えば引きこもり系の人間です。けれどもの作りにおいて刺激を避けることと労を惜しむことは忌むべきものなのだと思っています。「砂漠のような、画的に平坦で変化に乏しい難しい舞台」にも何かを見つけ出すことがキャメラマン本来の仕事ですよ(笑)
的外れなことを書いてしまったら許して下さい。ではでは。

 以前に送ったメールで私は『Gemon』の公開を控える紀里谷和明監督とデビット・リーン監督を比べてみれば「たった4、50年の間に起こったことが朧げながら見えてくる」と北原さんを挑発している。

category: 【オープンルーム】Bulletin Board

trackback(0) | comment(0) | 記事編集

go page top

« 態度と配慮~北原さんからのメール。[Attitude and consideration~Mail from Mr. Kitahara. ]  | h o m e |  『アラビアのロレンス』をテキストとして~北原さんからのメール。["Lawrence of Arabia" to be a text~Mail from Mr.Kitahara.] »

コメント

go page top

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

go page top

トラックバック

トラックバックURL
→http://cinemato.blog23.fc2.com/tb.php/8-2ad11b3c
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

go page top

FC2 Blog Ranking

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。