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電子頭脳は芸術を創り得るか?[Can the computerized brain create the art?] 


2009.04.12(Sun)

『ブレードランナー』の原作となったP.K.ディックの小説「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」に描かれていたのはそもそも人間と人工知能との間に違いはあるのか、つまりは人間とは何ぞやという問いかけだった。フイルムを人間的なものとして見立てるならデジタルディバイスは人工知能的なものと言っていいだろうが、ますます精度を高めたデジタルは果たしてフィルムと変わりのないものとなるのだろうか?
その議論を始める前に芸術とは何であるのかを定義する必要がある。しかし芸術の定義ほど曖昧なものもない。従って私なりの独断偏見を持って論を進めざるを得ない訳だが、表現者あるいはその表現物が鑑賞者に何らかの感情的・感覚的な変容を促すものと定義するだけでいいのかどうか、何か足りていない気がするのだがそれが何であるか特定できない。しかしながら、人の神経細胞における情報処理は電位差のみならず化学物質の受け渡しによることを考えると、電気的な信号だけでは人の情動に影響する割合は多くないのではないかと仮説をたてることは出来ないだろうか。情報伝達に化学物質が介在するということは、即ち、そこには何らかの曖昧さ、揺らぎが存在するということである。
デジタル技術の核はいうまでもなく曖昧さの排除である。今のところ、デジタル映像の滑らかさにもうひとつ心を動かされないでいる。少なくとも私にとってはその粒子感のなさが実存を感じさせない理由のようだ。デジタルで撮影したものに粒子を足してフィルムっぽく見せることは既に行われているが、その精度はまだまだでフィルターをかけたようにしか見えない。だがそれもそのうち解消されてくる。となるとフィルムとデジタルを分けて考える理由もなくなってくる。
高々百余年前に発明された技術(銀塩)がかくも人の心を捕らえたことを考えると、これから先の百年で技術がどう変わっていくか、人の許容がどう広がっていくのかを予測するのは難しい。映画が発明された当時、スクリーンに写し出された機関車に驚いて観客が席から飛び退いたというが、白黒で粒子も粗く動きもぎこちない映像であった。人間とはなんと柔軟な生き物だろう。生理的なものすら、歩みは遅いにしても、変化して続けている。現代人にとってはIMAXの映像ですら真に迫ったものではない。P.K.ディックの描いた未来は決して夢物語とは言えないのではないか。そのとき改めて“電子頭脳は芸術を創り得るか”という説問が有効であるかどうか?

category: デジタル Digital

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コメント


macは楽し。
機械と、上手く付き合えば、良いんでないかい。
あたしは、今酒に呑まれているので、キーボードが上手に打てません。
【2009/04/13 21:46】
URL | Gambo #- *編集*
ブレードランナー
フェイバリットなんで、書き込まずに居られない。
半年ほど徹夜で語り合いたいが、今は無理なんで、、、
ひとことで言うと、寂しい男が、暗い所で怯え乍ら、うろうろしてるとこが、美しく撮ってあります。
ブレードランナーもディックも皆さんそれぞれ感動した筈。
あなたは、何処が良かったですか。
【2009/04/13 21:53】
URL | Gambo #- *編集*

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