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場所~北原さんからのメール。[Base~Mail from Mr.Kitahara.] 


2009.02.11(Wed)

「知る、理解する、そして実践する」を重層的に反復することでしか「叡智」への道は開かれない。かつて千葉で行われたレクチャーで、ダライラマ14世が、そういっていたことを思いおこします。知り得たことを自らにかみくだき、その理解を外部との関係性のなかで践していく。その実践によって帰ってきたものをふまえて、もう一度知ることにたちかえる。そしてさらなる理解を深め、実践の舞台に投げかける。知性はこの地道な反復なくして鍛錬されることはありません。そして教養とはその力強い知性の基礎となる支柱であり、歴史を通じて、実に多くのさまざまな叡智が獲得してきた財産のことであろうかと思います。教養がないということは、知性の、あるいは大きく人間を形づくるものの土台が、すこぶる脆弱であるということです。この教養の問題こそが、ぼくが2月5日のメールでふれた「なるべく早期に抽出し、明確化しなければならない」、技術と人の心とにきたしている齟齬のひとつにほかなりません。
「私が常々思うのは(自分を含め)映像に携る人たちが映像を勉強していないと言うことです。映像にも基本的な文法があり、その実践の中で発見/発明された技法と技術があります。それを知ることなくしては、未来へと進むことも出来ません。」という大木さんの意見に強く共感します。技術や教養といった財産は、連綿と受け継いでいかれるものです。しかしながら今日においては、それらを継承したり、共有したりする「場所」を見つけることがむずかしくなっていることも事実です。圧倒的な情報の量や種類がせっかくあるのだからこそ、それらを再構成し、他との連携やぶつかりあいのなかで発展させていく「場所」が必要なのではないかと、大木さんはそう考えているように察します。
以前は、撮影所の存在がその役割をはたしていました。映画を作るということが、なんら特別なことではなく、製作という仕事をめぐって、日々、実践と鍛錬が行われ、技術に関する情報もまたひんぱんに行き来していたことでしょう。知識や理解だけでなく、それを実地で試すことのできる「場所」が撮影所にはあった。技術者にとって、また、技術を引き継いでいくものにとって、「場所」とは、かくも重要な意味をもっていると思います。
撮影所という入れものが瓦解し、そこに入れられていた多くの技術者が野に放たれてしまっている現在、大木さんばかりでなく、ひとりひとりが、そのリユニオンの必要性をさまざまな形で感じていることと思います。ただそれをどう具体的にしていったらいいかが、でてこないように思います。そんななかで、インターネットサイトはその有効な手段となりましう。しかし、それだけでは充分とはいえないように思います。やはり、機材なり技術なりを真ん中において、お互いの顔と顔をつきあわせることがなにより大切だと考えます。
大木さんの卓越した解説で明らかになった「アラビアのロレンス」のワンショット。あの最良のショットを選択するためには、人と人とを結びつける信頼、そしてそれを育んでいく時間と関係性が、必要かつ不可欠です。ぼくたちが、もう一度取り戻すべくは、行動を動機づける理念とそれを学習し実践していく「場所」、そして人と人とのコミュニケーションだと思います。次回は、そのあたりの見解を聞かせてください。

category: 【オープンルーム】Bulletin Board

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