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終わりの季節に想うこと 


2013.11.25(Mon)

 目の前を横切った乗用車の、メタリックブルーの車色を見た途端、遥か昔、同じような色のプラモデルカーを作ったことを思い出した。ジャガーEタイプだったような気がするけれど、本当にそうだったかは定かではない。車種がどうのという話をするつもりはない。小学生だったのか、中学に上がっていたのかすら思い出すことが出来ないのである。色の記憶だけが鮮明で、それ以外のディティールはすべてぼんやりとしている。ただただメタリックブルーの鮮やかさだけが記憶の中にあり、今日見た車色との微妙な違いさえ指摘できる。それほど記憶の中に埋め込まれた色が鮮明だったが故に、不意打ちのように網膜に飛び込んで来たその色に、たじろいだったのだ。
 そしてその後で僕を襲ったのは言いようのない感慨だった。無理に言葉にすればこういうことかもしれない。「随分と遠くまで来てしまった。」亀のような遅々とした歩みだとしても、長い時間をかければ思いの外、遠くまで行く事が出来る。今、僕がいる場所は僕が歩んで来た道の先端である。この先何処に導かれていくのか本人は無論のこと誰にも分からない。僕が言える事は、ここに辿り着くまでに出会ったすべての事物、人々の記憶がこの僕を形作っている、という事だけだ。生まれ落ちた時、僕の海馬にあったのは人間の原初の記憶だけだったはずだ。その記憶装置に幾多の経験、体験を詰め込んだ結果として僕が僕としてある。 
 実際にはそれが安っぽいプラスチックの味気ない色だったとしても、何十年か前に出会ったそのメタリックブルーは、自分にはとてつもなく美しいものとして見えていたのだ。だからその色は僕の一部である。永遠に続くと思っていた明日に実は終わりがあるのだと言うことを知ったのはいつだったか。そして今は終わりが来る事を実感として感じられるような年齢である。失われた時間の中で、出会い別れた人や物や出来事。忘れてしまった事どもも含め、そのどれもが愛おしく感じられる。プルーストを気取るつもりはさらさらない。季節の変わり目、特に寒さに向かっていくような時節柄、おそらく僕のような愚鈍な人間でも少しはメランコリックになるのだろう。生きるという事は何と切ないことであるのか。こんな青臭い事を考えている自分は未だに子供のままである。だからなのか、生きることは気恥ずかしくもある。

category: 日々是好日 Days

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