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スクリーンの上の電柱とピアス 【No.238】 


2013.10.03(Thu)

 ブログ復活を宣言したものの、以前ほどの熱意はなく、気がつけば月が変わって三日も過ぎていた、という為体である。言いたいことがないどころか、日々、屈託は溜まっていくばかりなのだが、それを文章に落とし込める馬力が足りないようだ。ようやっと書く気になったのはやはり映画の話題である。何やら出来損ないのロートレアモンの詩のような題名だが、決してシュールな話ではない。日本映画について前々から思っていたことである。
 わが国でピアスが一般的になったのは高々30年ほど前のことであるだろう。つまり1980年代、昭和で言うと55年頃までは一般の女性の耳にピアス用の穴が空いていることはなかったはずである。つい最近観た昭和を時代背景にした映画はとても魅力的な作品に仕上がっていた。だが、主人公たる女優と相手役の男優の耳にピアスの穴が空いているのが見えたというだけで、僕は物語への集中を途切らせてしまった。以前観た別の作品でも同じようなことがあった。スタッフの怠慢と言い切るのには些か躊躇がある。メイクで穴を塞ぐのは難しそうである。CG技術を使えば比較的簡単に修正できることは分っている。ただ日本映画の現状からしてそれを許すほどの予算はない。
 俳優とてひとりの人間、お洒落をしたいのは解るが、俳優であるという覚悟は何処にあるのだろうか。どのような仕事が来るか分らないのであれば耳に穴をあけるなど以ての外だし、若気の至りで空けてしまっていたのなら、時代物のオファーは断るか、耳の修正予算分ぐらいはギャラをまけて欲しいものだ。極めて厳しいことを言っているようが、役者をやるということは、富と名声とを引き換えに、私を差し出すということではないのか。私を差し出すということはその肉体を素のままにしておく、もしくは役にその肉体を近づけるということである。高々ピアスと侮ってはならない。少なくとも僕はそう思う。日本映画の白白さは案外そんなところに潜んでいるのではないだろうか。
 もうお判りだろうが、電信柱及び背景についても同じことが言えるのだ。コンクリートの電柱など、少なくとも僕が子供の時分まではなかった。時代物を撮るということは徹底したリサーチと再現が必要である。そもそも論で恐縮だが、例え昭和の話だろうと、時代物である以上、CGの予算は確保しておくべきではないか。そこがあまりに杜撰であると思う。アングルに苦労しているのがはっきり判る作品を見るたびに、日本映画の覚悟のなさを痛感するのだ。撮りたい画角があってこその映画である。見渡す限り昭和の町を再現するなど既にやられている。尤も、貧乏臭いことに、それが売りになったりするのだが・・・。今の日本映画は海外の作品とそこが決定的に違う。
 スタッフも役者も、ものを作ることに関わる者はすべからく、作品と心中するぐらいの覚悟を持つべきではないか。そんなことを思うのである。・・・僕のようなヘタレに言われたくはなかろうが・・・。

category: 映画のはなし About Movies

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