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靴を脱ぐ。To take shoes off.【No.228】 


2013.08.28(Wed)

 家に入る時は靴を脱ぐ。日本人が当たり前に身につけている習慣だ。無論、日本だけでなく、そうした習慣を持っている国は意外と多い。靴を脱ぐという行為は内と外を区別するということである。パブリックな空間とプライベートな空間。それを日常的に意識する行為が靴を脱ぐということである。西洋的な基準に照らし合わせれば、靴は服と同等の意味を持つ。靴を履くことで初めて“装い”は完成する。つまり靴を脱ぐということは人様に隙を見せる、だらしない姿を人前に晒す、ということである。いずれにせよ、良識ある人なら、家の中でどんな格好でいようと、公共の場では靴を脱いだりはしないはずだ。ここまでは我ら中年以上の常識。
 さて、昨日、映画館で隣に座ったうら若き女性は、席に着くなり靴を脱いで、リラックスのご様子である。反対側の若者も同じように片膝抱いて座っていた。二時間ぐらい我慢できないのかしらん、とオジさんは思うのだが、その娘たちにしてみれば、周りは暗いし、誰に迷惑掛ける訳でもなし、第一その方が楽、ってなものだろう。それだけなら目を瞑っていてもいい。ぼくだって乗り物に長時間乗る時はさっさと靴を脱ぐのだから文句は言えまい。だが、彼女は上映中しょっちゅう体の向きを変え、果ては肘掛けを占領して頬杖をつくものだから、オジさんとしては何とも居心地が悪かったのである。動物は自分のテリトリーに他者が入り込むのを決して許さない。頬杖などついて頭をこちらに傾げていればぼくのテリトリーと彼女のそれとは確実に重なってしまう。ぼくが不快を感じるということは、つまりは、テリトリーが侵害されたということである。と同時に、ぼくも彼女のテリトリーに侵入していることになる。自分のテリトリーが何処から何処までかというのは社会的な訓練によって感覚的に覚えていく訳だが、彼女にはそう言った感覚がないように思える。
 日本人は公共意識が低い、とはよく言われることだ。特に、若い人たちにその傾向が強いようだが、我々の年代の欠如とは明らかに質が違う。先に述べた若き女性たちの例に見られるように、彼らには他者が目に入らないようなのだ。目に入らなければテリトリーなど気にする必要も無い。
 「私」を受け入れてくれるトモダチと言う狭い世間のルール(空気)だけが彼らを縛る規範であり、その背後には茫洋とした「私とは関係のない」世界があるだけだ。彼らにしてみれば、外の世界では「私」は無価値である。だから世界を無いものとすれば辛うじて「私」を保つことが出来る。それでは公共意識が育たないのも無理は無い。社会から拒否されていると感じる者に社会の側から意見したところで彼らを内に追いやるだけであろう。君たちは無価値ではないと気づかせることが出来なければ社会も育っていかない。「私」とは誰か、徹底的に己と向き合うことをしないでも生きられるこの日本において、かつては内と外を分ける装置だった靴を脱ぐという行為は今や何の意味も持たない。考えるべきは靴を脱ぐ場所ではなく履くべき場所なのだ。

category: 日々是好日 Days

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