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カメラの作法~北原さんへ。[Methodology of camera~To Mr.Kitahara.] 


2009.03.01(Sun)

北原さんが指摘したとおり、わたしがRED ONEというカメラをチョイスしたのはこのデジタルカメラがムービーカメラの延長線上にあるからです。ムービーカメラとビデオカメラの最大の違いは何処にあると思いますか?それは大写しを想定して作られているか否かの違いです。つまりスクリーン(私が勝手に決めた基準では縦が人の背丈を超える高さ=一間以上のことです)上で観賞に堪えうる画を撮ることが出来るかどうか、です。REDカメラユーザーの中にはビデオカメラマンが大勢いらっしゃいますが、REDを巡る混乱の一つはここにあります。私には、彼らがこのカメラを選択した理由が今イチ解りません。彼らは映画館のスクリーンに自分が撮影した映像が投影されることを想像していないはずです。これは宝の・・・、猫に・・・ここまでにしておきます(また挑発的なことを書いていますね。これ以上書くと炎上しそうです(^_^;)。私は一介のCMキャメラマンに過ぎませんが、撮影に臨む時は自分の画がいつでもスクリーンに上映されてもいいようにしているつもりです。
ここ何年かで盛んにHDで映画が撮られるようになりましたが、映画館で観ると無惨な程眠い画が多い。1080の解像度でもまだ大写しは無理なのだと思います。AFIがデジタルシネマの基準を決めたのが去年だったと思いますが、35mmと同等のクオリティとしてデジタル4K(実際にはフィルムは7Kから8Kの解像度があると言われています)を策定しました。つまり4Kなら何とか鑑賞に堪えられるというお墨付きです。今後十年以上はこれは覆らないでしょう。
REDと言うカメラはおそらくは元々軍事用に開発されたものですが、戦場で耐えられるものでないとムービーカメラとしても不充分なのです。その出自からしてムービーカメラとして使われるべく生み出されたものです。今REDユーザーの中で密かにシネレンズの争奪戦が起きています。精度の悪いレンズは大写しにすれば粗がすぐ判ってしまう。ボディーは画期的に安いけれど、それ以外の周辺機材はクオリティの高いものを使わざるをえない。結局、誰もが手を出せるのはボディだけです。クオリティーを大事にしなければ満足な画は撮れません。私には、REDの登場が、それを使う者の映像に対する姿勢を問いかけているように思えるのです。カメラがキャメラマンを選ぶ。面白いと思いませんか。誤解を恐れずに言えば、巷間盛んに議論されている細かなことは私にとってはどうでもいいことです。自分が使う状況と目指すクオリティを想定してテストすれば良いことです。後は現場での工夫次第です。完璧なものはありません。新しい道具は新しいものの見方を教えてくれる。それで良いじゃないですか。もっとシンプルに考えたら良いと思います。現在のREDを巡る議論の多くは道筋が逆のような気がします。
返す刀で「システム」も斬ってしまうと、わたしはまだこれと言って具体的な落とし所を思い描いているわけではありません。ほとんど動物的な臭覚です。今まで当たり前に思われてきたことのほとんどは機能しなくなる。その思い込みだけです。今村さんのオフコマに反応したのも、そこから何かが生まれてくるかも知れないと言う自分の予感を信じたからに過ぎません。今はバラバラになったパズルのピースがようやく所々で形を作り始めたばかりではないかと思います。一つだけはっきり言えることはドメスティックでは行き詰まるということです。これからの変化は相当面白いし早いですよ。

2月の初めから北原さんとの間で交わされたメールは当ブログに公開したものだけで12通に及ぶ。その中で私たちは映像現場の問題を多岐に渡って話し合ってきた。ふたりを突き動かしてきたのは、言うまでもなく、映像制作の現状に対する危機感である。『おくりびと』がアカデミー賞を獲ったことは喜ばしいが、依然として映画業界は貧しい。あの木村大作氏でさえ一時期仕事が無くアルバイトをしていたと聞く。このような状況は世界を見回しても日本だけである。CM業界とて、かつての勢いは無く、予算も時間も大幅に削られ制作本数も激減している。他のフィールドでも同じことが起こっている。それでもクオリティが落ちないでいるのなら希望は見えていようが、モノ作りの現場からはクオリティを追究する姿勢すら無くなりつつある。世界的な経済状況の悪化は致し方の無いこととしても、下部構造の揺らぎに反応してガタガタになってしまうような上部構造しか生み出せなかった戦後のシステムにはやはり相当な問題がある。
一朝一夕にそれを変えることは出来ないが、新たなシステムを再構築するために、先ず我々に必要とされるのはもう一度自分の立ち位置を確認する作業である。私たちの会話がその切っ掛けの一助になれば幸いである。それと同時に我々は走り出さなくてはならない。時代は大きく変わる。誰もがサバイバルの時期を迎えている。その恐るべきスピードについて行くには走りながら考えないと間に合わない。そんな時、私たちの会話がものを考える上で何らかのヒントに成るならこんな嬉しいことは無い。今後更に議論を深化させるつもりだが、我々ふたりだけではいかにも不充分である。もっと多くの人が発言してくれることを望んでいる。尻込みしていては何も変わらない。この場をどんどん利用してくれたら良い。自分で場を設けるよりはずっと簡単ではないだろうか。

category: 【オープンルーム】Bulletin Board

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コメント


北原さんと大木さんとの対話、拝見させて頂いてます。
お二人が感じている危機感は、同じく多くの映像業界の方々が感じている事だろうと思います。『ものづくりの現場からはクオリティーを追求する姿勢すら失われつつある。』
と大木さんが言い切ったのは衝撃的で、そんな事は無いだろうと思いつつも、クオリティーじゃない所に時間とエネルギーが注がれているなとは感じていました。

撮影現場は監督などをトップとしたヒエラルキー構造ですが、クオリティーを追求するならばその立場を問わず自由に発言出来る空気が必要じゃないでしょうか?
立場の違いだけで対等に話が出来なくなるのは組織として不健康です。
日本の組織構造全体がそのようであると言えますが、もの作りには人間同士が自由に、明朗に発言し、他者の考えを最低限聞く姿勢が必要だと思います。

撮影所が機能していた時代は撮影助手になるのも応募者多数につき困難であったと聞きます。選び抜かれた少数の者たちが~組として家族のように自由に議論を戦わせていたのだろうと想像します。
 
今は縦、横の関係の間で映像に関して話す事はほとんどないし、深まっていかない(僕の周りだけかもしれませんが)のはなんとも悲しい状況です。皆さんはどうなのでしょうか?
出来ればこのような場所で映像業界の方々の、映像とは何ぞや、この危機をどう乗り切るか、という発言が聞きたく思っています。




【2009/03/02 18:53】
URL | 木下容宏 #- *編集*

木下さん、投稿ありがとうございます。
皆さんの意見を聞きたいがために些か挑発的な文章を心掛けているので、かなり極端な発言をしています。けれど、大袈裟とばかり言えない情況があることも事実です。
徒弟制度は極めて日本的な伝承形式で、それが一概に悪いとは言えませんが、もう少し風通しが良ければ良いと思います。
ひとつ言えることは、大御所だとか巨匠だとか言われる人の中で、本物は人の意見をよく聴きます。どのような立場であれ自分なりの意見を言えば、その分色々なことを惜しまず教えてくれるはずです。だから発言しないことは勿体無いです。日本人的なメンタリティーも良し悪しですね。
【2009/03/02 22:15】
URL | sumio #- *編集*

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