10/ 1. 2. 3. 4. 5. 6. 7. 8. 9. 10. 11. 12. 13. 14. 15. 16. 17. 18. 19. 20. 21. 22. 23. 24. 25. 26. 27. 28. 29. 30./12

デジタル、それともアナログ。[Digital or analogue?] 


2009.08.09(Sun)

自由を得る為には何らかの犠牲は付き物である。デジタルとアナログにもそれと同じことが言えるかもしれない。我々は技術の進歩によって不確実さを(ある程度)排除出来たけれども、一方で曖昧な部分に宿る何ものかを(確実に)失ってしまったようである。デジタルの登場は、われわれに、クリアーでヴィヴィットなイメージは美しいものであることを示したが、一方で、自然で無理のない表現を古いものとして排除する傾向にあるように思われる。人工物が美しいのではなく、そこにも美を見いだすことが出来るから美しいのだ。また自然は依然として美しい。どちらか一方が正しかったり優位なのではなく、世界は並列しているから素晴らしいのだ。完全なものはどこにも無い。
われわれは撮影したものを、その場ですぐに、そのままを確認出来るようになった。撮影素材のルックをリアルタイムで補正出来る自由を獲得した。フイルムの物理的束縛からも自由になった。技術的にも価格面から見ても、一般の人がある程度のクオリティーを比較的容易に手にすることが出来るようになった。(どんな分野でも素人の参入というのは新たな表現を生む可能性をもたらすものだ。)デジタル技術は決してパンドラの匣ではない。人は利便性から逃れることは出来ない。一度手に入れたものを手放すことは出来ないのである。
当ブログで何度も述べている通り、アナログからデジタルへ、フィルムからデータへの移行は避けられない。だからといって一見古びてしまった技術を焚書のごとくしてしまっていい訳ではない。依然としてフィルムにはフィルムの素晴らしさがある。極めて感情的なこと言えば、今までさんざんお世話になった技術をあっさりと捨て去るというのは恥知らず、恩知らずである。さらに洗練させていくことは撮影担当者としては当然のことではないだろうか。
今ある議論の多くはデジタルとアナログのどちら優れているかという議論に傾きがちであるけれど、既にデジタルは存在するのである。どちらが映像表現に適しているかなど、もはや無意味な議論であろう。慣れ親しんだ方に肩入れしたくなるのが人情だが、道具は所詮道具である。要は使い方次第である。ラティチュードがカラースペースという概念に変わったとしても、問われるのは、ひとえにキャメラマン(やクリエイター)のセンスであろう。どちらも使ったら良い。フィルムでしか撮れないもの、デジタルでしか撮れないものがあるはずである。

category: デジタル Digital

trackback(0) | comment(6) | 記事編集

go page top

« 我々が失ってきたもの。[What we lost.]  | h o m e |  気持ちの好い場所。[Favorite Place.] »

コメント


こんにちは。そうですね、ある意味同感です。しかし先日、NHKの番組(その日は予告編)でザトウ鯨に一ヶ月密着した番組の映像をみました。ハイビジョンで凄くビビッドなクジラの生態映像でした。しかしクジラの体のテクスチャを出そうとしたのか、クジラが吹き上げる潮や凄い勢いで動く波しぶきなどは完全に飛んでしまい全くただの光と化していました。確かにハイズピード映像がここぞとばかりに駆使されていましたが、なんだか全く魅力を感じませんでした。あれがフィルムで撮られていたなら、クジラの命がしっかりと写っていた気がします。(凄いチャンスを無駄にしていると思えるのです。)
グラフィックのように解像度が1カット6000万画素くらいになればかなり改善されますが、やはりまだまだ映像の世界に於いてデジタルカメラのレベルは知れたものだと感じます。僕自身はスティルカメラマンですからその辺りの考え方は全く違うと思いますが、デジタルとアナログはテレシネというデジタライズしなくてはならないという事をふまえても、まだ映像をデジタルに頼るのは時期が早すぎるように思えてなりません。
つまりは共存も何も、根本的に比較にならないという事です。これはセンス以前の問題では無いでしょうか。すみません、生意気な事を言って。でも大木さんの言われる通り、そう簡単にフィルムを捨て去ってはならないと思います。デジタルはこのままいやでも進歩しますから。
【2009/08/11 23:21】
URL | m.hasui #l4EZtc/. *編集*

m.hasuiさん、コメントありがとうございます。
NHKのその映像は見ていないので推測するしかありませんが、最近のTVの映像傾向からするとハイライトのディテールを完全に無視して、迫力のみを追求したような映像だったのでしょうね。確かにそのような画には僕もあまり魅力は感じません。
ただムービーキャメラマンからみると、その映像はデジタルでしか撮ることが出来なかったのではないかと思います。フィルムでHS撮影するとなると膨大な量のフィルムが必要になってきます。3倍で廻したとしても一回のフィルム装填で3分程度しかもちません。スチールと違って立ち上がりの時間(正常な回転スピードに達する時間)も考慮しなければなりません。作品に使う秒数は数秒でも、その一番良い動きを見せる為にはかなり前からフィルムを廻し始めなければなりません。物理的な制約はスチールの比ではありません。
ですからムービーキャメラマンは、クオリティを犠牲にしてもシャッターチャンスを優先させる傾向があります。(勿論どちらも出来ればそれに超したことはありませんが。)特にドキュメンタリーの場合は一回チャンスを逃せば二度と撮ることは出来ないのですから、フィルムを使っていた頃などは緊張の連続でそれは大変でした。デジタル技術はそうした物理的な制約からキャメラマンを解放しました。
クオリティーを考える際、問題になるのはその出口です。携帯電話やPCの小さな画面から劇場の大きなスクリーンまで。何処を基準にするかでもクオリティへの要求は違ってきます。TVで放映されるだけだったらデジタルで十分だという考え方もあります。CMでよく使われる手法に増感(あるいは後処理でYSとか)などがありますね。クオリティーの高いフィルムを使って、わざわざ再現領域を狭めています。極端なことをしなければ他の映像と差別化出来ないと考えてのことでしょう。TVなどでそのような映像を見ると僕などはけして好い印象は持ちませんが、スチールカメラマンからご覧になってそのような映像をどう思われますか?ムービーはじっくり見せられるものではなく、流れていくものですから、勢い、インパクトのある映像に走る傾向があります。(僕個人としてはそちらに組したくはないと考えてはいます。)そこではスチールマンが考えるクオリティーとは別の回路が働いています。更に付け加えるなら、これだけ映像が氾濫しているにも関わらず、見る方の側でも映像に対するリテラシーは落ちていると思います。
クオリティーだけを問題にするのであれば、おっしゃる通り、フィルムとデジタル映像は比較にはなりません。僕もフィルム育ちですからフィルムの方が圧倒的に好きです。けれど、これだけデジタル映像が普及しているのであれば最早それを無視することは出来ません。ならば積極的に関わって、そのクオリティーをより良いものにしていくべきだというのが僕の意見です。
【2009/08/12 07:50】
URL | sumio #- *編集*

先日、JSCのN氏とお話しする機会がありました。
自然と日米合作作品『はりまや橋』のはなしになりました。
カメラはF35、シャープネスを優先してあえてローデータでは撮影しなかったようです。
その結果デジタルのわりに満足のいく奥行きのあるプリントを仕上げることができたそうです。このプロセスは撮影の入り口はデジタル、データーからネガを作成し
プリント仕上げ(アナログですね)とデーターからデーターで仕上げになったそうです。
ここで詳細な説明はさておき、N氏は良好な状態のプリントをつくるために数回渡米する必要があったそうです。そして、次回に入る作品ではデジタルにて撮影、ネガ作成は渡米してArriレーザーを使用することに決めたそうです。
N氏は私がここで述べるまでもありませんがコダック本国にて、仏DPのシャンプティエさんらと新製品のフィルム作成に加わったり、ヴェネチアにて撮影賞を受賞などなど、日本人では数少ない海外で認められているDPです。その彼も、積極的にデジタルをプロセスに取り入れています。しかし、聞き逃して欲しくないのはそのプロセスは国内ではありません。
良好なネガを作成するのにクオリティーはもちろんそのコスト面でもこの日本では選択肢に入っていないようです。悲しいけれど現実的なはなしでした。
話は少しずれますが、私もPLマウントのレンズをデジタルに使用するために特殊マウントを依頼して作ってもらったりしていますが、その先はインド、イギリス、台湾です。日本の技術者はまずコストが割高なのは仕方ありませんが、あたらしいことへの興味が少し。。また年齢的にも大先輩ばかりとなってしまっているため、やはり選択肢にはいっていません。海外で機材を作製し満足できればそこで完成。改良の必要性によって国内の技術者に発注しています。できればすべて国内で行いたい所ですが技術はあっても様々なハードルでスムーズにいきません。
デジタルの利便性、コストの有利性はもちろんだと思います。ただし、そのクオリティーを支えて来た人たちをないがしろにして進んでいるように見える現在の日本のデジタル化は弱小なフリースタッフ個人の犠牲だけにとどまらまいのではないでしょうか。
フィルム中心でCM製作が行われていたころはそのシンプルな行程からスチールマンの参入や不確かなシステムにでも一見普通に製作されていたと思います。しかし、複雑化して行く今後どうなっていくのか、それは自分も含めてとても興味がある所です。しばらくは波を静観して、積極的に攻めてみたい所です。

大木さん、映像研究所の件ですが年末のメンバーからちょっとづつ声をかけてみてはどうでしょうか? 僕の所には早速S社からP + S のHSカメラのテスト依頼がありました。落ち着いたらRedのHS、ファントム、とともにテストしませんか?ではまた。

【2009/08/12 10:15】
URL | 井上隆夫 #- *編集*

「public enemies」というジョニー・デップ主演の映画を観ました。
ほぼ全編デジタルカメラ(F23、EX-1など)で撮影されているのですが、僕はこの作品は残念ながら失敗作だったと思います。マイケル・マン監督は、時代物の作品で多く用いられてきたルックではなく、リアリズムを追求する為にあえてHD撮影を選択したようです。『マイアミ・バイス』などはBムービー好きの僕にとってはたまらない作品だったのですが。
それもrec709で撮影されたので、いわゆるビデオのカラースペースが強調された映像になりました。
たぶん暴力のリアリズムの表現を目指したのだと思うのですが、テレビニュースのような映像が即リアリズムに結びつくとは思われません。
しかし、デジタルの特徴を作品に活かそうと試みた事は素晴らしいと思います。
デジタルの特徴を生かした作品で思い浮かぶのは、少し前の作品になりますが、故篠田昇さんの撮影された『花とアリス』があります。ハッセルのグラスを撮影するなんて発想を実際に形にした事が凄い!ある意味力任せで、すき間だらけで、純粋に自分のスタイルを画面に入れ込み続けた氏の映像はデジタルの欠点をも表現手段に取り入れています。
今でこそレンズアダプターが多く出回っていますが2002年当時は無かったと思います。

先日、kodak で新製品のデモリールの試写を観に行って来ました。井上さんの書かれていたN氏の撮影した古いデモリールも上映されました。
担当者は、『public enemies』を引き合いに出していかにフィルムが優れているかという事を強調していました。
やはり大木さんが言われるように、劇場の大画面で鑑賞に堪えうるクオリティーにまだデジタルは発展途上です。自宅のテレビでも観られるものを劇場にわざわざ観に行きたくないですね。
m.hasuiさんのクジラの話ですが、フィルムならクジラの命が写っていたという感性はやはりスチールカメラマンの才能で僕には全くありません。(以前、写真新世紀に落選し挫折した苦い思い出があります。)セバスチャンサルガドさんの作品などを見るとそのたった一枚に、辛く、厳しい現実が写っているのにそこには『美』が宿り、もの凄い力があります。石内都さんの世界観などはムービーとは全く違います。フィルムでしか表現出来ないでしょう。

PS.m.hasuiさん、Yoshiくんは元気にしています。僕も色々お世話になりました。


【2009/08/12 17:04】
URL | 木下容宏 #- *編集*

木下さん「public enemies」の話大変興味深く読まさせていただきました。木下さんの情報をふまえて劇場で見てみたいと思います。コメントの中で故篠田昇さんのオリジナリティあふれる撮影には私も同感する部分もなくはありませんが、氏のアシスタントへの考え方にはどうしても共感できませんでした。
氏より何度か頂いたお誘いにも結局数回の参加のみに止まりました。
氏の晩年の代表作『世界の中心で愛をさけぶ』でも結局撮影中盤でアシスタントは総入れ替えになっていますね。氏の作品のすばらしさはあえてここで語ることは必要ないと思いますがなぜそのようなことが起きてしまったのか、それで本当に良かったのか今では何もはっきりしないままです。
私は優れたDPというのは撮影環境にまでも行き届いた撮影を行うことができるオーケストラの指揮者のようでなくてはならないのではと思います。DPがフレームを決めて光を作るだけで済むのは、バブルな必要以上に余裕のある現場なのでしょう。
私はあまり魅力を感じません。
アシスタントを必要以上に大切にする必要は全くありませんが、チームが不安定なのは結局映像にも影響します。氏に関してならスワローテール~花とアリスは説得力がある映像ですが、世界中はカメラワーク、フォーカスなど氏の当時の体調を考えたとしてもあまりにもアシスタントの力不足を否定出来ません。アシスタントのレベルの低下はそのトップの責任です。プロデューサー、ディレクター、カメラマンは責任を感じなくてはなりません。今現在のアシスタントの環境は劣悪です。先日映画を中心に活動しているアシスタントが私のジョブに参加してくれる予定だったのですが数年間映画のアシスタントをしているにもかかわらず現場でフィルムを使用したことがないということをきき驚愕しました。
カメラに慣れていない者にカメラを触らせられません。
CMのアシスタントもフィルムは50パーセント程度のようです。複雑化していくまた、メインスタッフのクオリティーにもかかわる彼等の立場をここでもう一度考える時期なのではないでしょうか。
私はギャラの設定を厳しく時給制にすることに対してコメントしているのではありません。だらだらしたアシスタントに減給は当然とも思います。
しかし近年人が育つ環境をだれが考えているのか実感した試しはありません。プロデューサー、ディレクター、カメラマン、どのセクションもクリエーターではなく、その場その場で人や才能を消費してきただけなのではないかとさえ思います。怒りさえ感じます。

PS  90年代のバブル絶頂期にラッキーにも学生だった私はN氏の現場を経験することができました。世の中が浮かれているにもかかわらずN氏のチームはDPのアラン ダビューA.S.C.のもとカメラOPとして一切の無駄もなく走り続けていました。
先日、相変わらず忙しいN氏の現場をのぞくと照明はもちろんアシスタントも当時(15年程前ですよ!)と同じです。老いてますますといったらしかられますが、現場はとても統率のとれた美しいものでした。世間がどうでも変わらないスタンスをとっているN氏の現場に学ぶものを沢山見つけることができました。
【2009/08/12 21:58】
URL | 井上隆夫 #- *編集*

勉強になる話です。僕はスティールのカメラマン、いやこの場ではそういうのはいけないですね。スティールも撮るムビーカメラマンです。(プロとしてギャラをもらっているのですから)皆さんのお話しは大変興味深いです。これからデジタルを中心にどう映像制作が発展してゆくのかを見守るのではなく、僕たちが作り上げていかなくてはならないからです。未来を決めるのは僕たちです。クジラの映像は確かにフィルムでは撮れない映像でしょう。しかし過去にフィルムで撮られたドキュメントにはその不便が故に「神が宿った」作品があります。そこには人の目に見えるものを残そうとする意思があります。最近のドキュメンタリーは人の目に見えないものを撮ろうとする部分が多すぎる気がするのです。そこに同じ生物としての共感を感じないのです。これはデジタルかアナログかという議論ではなく、映像を撮るものとしての立ち位置の問題だと思うのです。抽象的な言い方ですみません。
【2009/08/12 22:31】
URL | m.hasui #l4EZtc/. *編集*

go page top

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

go page top

トラックバック

トラックバックURL
→http://cinemato.blog23.fc2.com/tb.php/118-67ac8b15
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

go page top

FC2 Blog Ranking