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震災が問いかけているもの。 


2014.03.11(Tue)

 人の死は、それがどんな形であっても、理不尽なものである。生きるということはそれをそのまま引き受けるということではないのか。ぼくたちはその覚悟を持って日々過ごしているのだろうか。あの震災が我々に教えてくれたのは、そう言った、人としての根源的な姿勢のようなものだったのだと思う。
 震災を遡ること一年、僕の極めて身近な人がこの世を去った。だからだろう、あの日、多くの日本人が感じたであろう理不尽さ、無念さを僕は比較的冷静に受け止めていた。冷たいようだが、人の死を忌むべきこととしてそれを隠蔽して来た日本の戦後の風潮に、自然がしっぺ返しをしていると思った。
 考えてみれば、我々日本人は常に忘却することで苦難や辛さを乗り越えて来たのではなかったか。季節の移ろいがはっきりした風土であるが故の心性だとは理解する。今でこそ遅々として進まない復興を懸念する声は多いが、おそらく後7年もすれば(東京オリンピックの年だ)、阪神淡路大震災がそうであったように、大方の日本人は震災のことを忘れているはずである。原発事故でさえ我々の脳裏から消えつつある。同様に、今、高々七十年前に起こったことをあたかもなかったことのようにして、歴史そのものを書き換えてしまおうとする社会がある。
 起きたことをなかったこととしてしまうことで、我々は苦難を根本的に乗り越える術を身につける機会を失って来た。絆、花は咲く、など感傷的な甘言は、時として忘却を後押しすることを忘れてはならない。忘却という言葉を臭いものには蓋、と言い換えてみればもっとはっきりするかも知れない。人は何度も同じ過ちを犯す。過ちを繰り返さない為に忘れ去ってはならないことがあるのだ。それでも過ちを犯してしまうのが人間であるが故に。
 理不尽さと正面で向き合う勇気と忍耐を育ててこなかった我々の社会が、今、どのようになっているか。荒みとしか言いようのない社会が眼前にあるではないか。荒みを和みに変えうるのは、結局のところ個々人の心の持ちようであり、その心を育むのは生に対する根源的な覚悟だけだと思う。人が生と真剣に向き合うとしたらそれは死を意識した時である。個人がどれだけ己の人生と向き合っているか、震災が問いかけているのはきっとそのことである。
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