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木下さんからの返信。[Reply from Mr.Kinoshita.] 


2009.01.27(Tue)

早速の返信を頂きまして、恐縮です。
乱暴な質問に関わらず、丁寧なご意見をありがとうございました。
後で、僕の書いたものが分かりにくい内容だなあ、と反省してまして。
僕自身、リアリズムとは何か、はっきり分かっておらず、まとまりの無い事をダラダラ書いてしまいました。
リアルを追求する事は映像に携わる者にとって避けられないない仕事。大木さんの言われている『その歪さが表現としての力を持ち得る』という事は僕も全くそう思っていて、現実の模倣の作業の中に、ある”すき間”があり、そこに表現の可能性があるのだと今は考えています。
映像は世界を記録する道具で、写実の機能を持ち続けますが、歪さ、拙さ、すき間、に思いを込めることが重要な要素のうちのひとつでしょう。テクノロジーはそのすき間をどんどん埋めていき、創り手はすき間を創り直す事にエネルギーを注ぎます。それも表現というものを深く検証し直す事の出来るいい時代だと思います。
世界と同じように、映像もその背景、価値観、信条、様々で、もちろん作品に触れたそれぞれの個人にとっても理解は全く異なるでしょう。しかし、絵画、彫刻、音楽、文学などの芸術と違い、プロフェッショナルの映像は芸術からは遠く離れて人の評価を受ける必要がある商品だと思います。やはり、できるだけ多くの人の生活にポジティブな力を持つと信じて創られるべきだし、創り手はその責任があると思います。


プロフェッショナル映像は紛れもない「商品」であること、従って多くの人に評価されるものを作り出す責任がある、という厳しい見方はさすがに米国仕込みである。私のようなアマちゃんは反省しきりであるけれど、「絵画、彫刻、音楽、文学などの芸術と違い、」という部分には多少の引っかかりも憶える。映像の力を信じるが故に、我々は自分の良心に従って映像を創り続けるしかないわけで、それが何らかの力を持ち、人にほんの少しでも影響を及ぼすことが出来たなら、それを“芸術”と言っても良いのではないかと思っている。けれど昨今の我々を取り巻く状況を考えたら、それはあまりに単純で些かOptimist過ぎるのかも知れない。

私の呼びかけに応えてくれた木下さんには本当に感謝している。何かの折にでもまた投稿してくれることを期待している。
木下さんは無論のこと、他の多くの方々とも色々な問題を話し合いたいと思っている。当ブログを自由に利用して頂きたいのもである。
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