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我々が失ってきたもの。[What we lost.] 


2009.08.12(Wed)

先の記事に関して沢山の、しかも各々が真摯で、それ故に長文のコメントを寄せてくれました。自分のブログながら、とても有意義な議論が展開されていてワクワクさせられます。多謝。

この議論の中で、夫々の立場を超えて我々が共有しているのは、現在の撮影現場を取り巻く状況に対する相当の危機感です。知らず知らずに流されて来た先に広がっていたのは緑豊かな森ではなく荒涼とした砂漠だった。今はそんな状況かも知れません。100年を越えて今、映像の世界は大きな転換点に立っています。本当に問題なのはデジタルかアナログかという二者択一にあるのではありません。
一応私の専門分野なので撮影機材に限って論を進めると、自分がアシスタントをしている頃から比べると撮影機材の拡充ぶりには眼を見張るものがあります。撮影現場には大量の機材が運ばれてきます。随分便利になったと思わない訳ではありませんが、新たな機材を覚えるだけで一苦労です。有り体にいえば、便利な道具は人に考えることを止めさせてしまいます。少なくとも私はそう思っています。
例えばビデオアシストです。(私は未だにビデオアシスと廃止論者です、笑)ビデオアシストはファインダーをわざわざ覗かなくともキャメラマンが切ったフレームを見ることの出来る便利な道具です。それがなかった頃は、スタッフがフレームを知ろうとすれば、ファインダーを覗かせてもらうかレンズのミリ数から見当を付けるしかありませんでした。ビデオアシストの登場はその煩わしさからスタッフを解放しました。ところが皮肉なことにそれ以降スタッフはフレームに頓着することが無くなりました。当たり前のことですが、フレームが分からなければ仕事をスムーズに進めることは出来ません。極端な話、撮影助手の中にさえレンズのミリ数から画角の見当をつけられない者がいます。一方で演出家はビデオ画面に張り付いたまま演技の指示を出しています。キャメラマンからは被写体に対する集中力と責任感を奪いました。スタッフ全員が撮影したばかりのものをビデオで繰り返し観ることが出来るのですから、キャメラマンが撮影時に全神経を集中しなくとも良し悪しは後から判断出来るからです。しかも立場上は上位の方々の合議ですから・・・どうなるかは推して知るべしでしょう。
フォーカス送りなどもそうです。今は難しい送りになるとビデオ画面を見ながらフォーカスを送ります。ですから厳密なところはボケていても判りません。デジタルメーターがありますからメジャーを引っ張って行く必要もなくなりかけています。被写体までメジャーで測りに行くということはそこまでの距離を身体に覚え込ませるということです。それを繰り返すことで距離に対する勘を身につけて行くのです。この先オートフォーカスが出回るようになれば、どうなることやら・・・。
これらはほんの一例です。いちいちそれを挙げて行ったらキリがありません。撮影部だけでなく他の部署でも多かれ少なかれ同じようなことが起きています。利便性と引き換えに捨て去ってきたものの中に、実は、とても大事なものまで含めてしまったのではないかと思うのです。
かなり抽象的な議論をしなければならないでしょうが、そこから始めなければ何ともならない気もしています。m.hasuiさんのおっしゃる「映像を撮るものとしての立ち位置」や木下さんが指摘したような「見るという行為、想像するという行為を省略する事によって失ってゆく物があるということ」を真剣に議論して行かなければならないと思います。

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ディレクター・オア・プロデューサー?[Director or Producer?] 


2009.08.02(Sun)

木下さんと井上さんの投稿、とても好いです。当ブログが目ざしていたことのひとつがこうした二人の対話です。お互いに様々な議論を交わすことが我々の技術や環境を向上させることに繋がると信じています。撮影を生業とする全ての人にとって、ここがそういった場であればこんな嬉しいことはありません。
井上さんは私に就いてくれた助手のひとりです。私自身が難しい状況にいた時にチーフを務めてくれたこともあり、ちゃんとした師弟関係を結ぶことは出来ませんでしたが、とても優秀な助手でした。そして今や売れっ子のキャメラマンです。助手だった人たちの活躍を見るのは率直に嬉しいものです。
さて、今回は井上さんの投げかけてくれたことに対して私なりの見解を述べてみます。

ディレクターシステムかプロデューサーシステムかで言えば、日本のシステムはどっち付かずの状態のように思います。プロデューサーが全てを掌握している訳ではないし、かといって監督の意見が優先されるかと言えばそのようなことも無い。力関係によってその攻守は一変します。大御所の演出家であればその権力は絶大でしょうし、若手であればプロデューサーの言いなりにならざるを得ない。プロデューサーとて代理店の言うことは優先しなければなりません。いずれにせよ、ここには作品をより良いものにしようという意志はありません。多少のことは眼をつぶっても事が巧く進んでいくことが優先されます。かつては利益は一年スパンで考えれば良かったものですが、今や一作品ごとに結果を出さなければならなくなりました。ですから現在日本のシステムは(短期の)利益優先システムとしか言い様がありません。必然的に予算はタイトになります。しわ寄せは当然、下請け業者たるスタッフにかかってきます。このままではクオリティーの維持さえ難しくなってきます。
私たちの仕事が面白いのは、異なる価値観を持ったクリエイターたちが同じ土俵に立つことで新しい何ものかが立ち現れることです。私たちが創るものはひとつの作品ですから最終的には誰かひとりの決定に委ねられるべきですが、そこに至る過程は複雑であればあるほど面白いのではないか、そんな風に考えています。決定権をディレクターに委ねるのか、プロデューサーが担うのかは別にして、それぞれの創意工夫をぶつけ合う行程にこそクリエイティヴの神様が宿ると思います。
しかしながらクオリティーはシステムと無関係ではいられないのも事実です。雁字搦めの状況の中でどうしたらクオリティーを維持していけるのか、志を保ちうるのか考えなければならない。そのヒントは何処にあるのでしょうか。ディレクターシステムかプロデューサーシステムのどちらかを選べば問題は解決するとも思えません。今言えることは、極めて抽象的な概念でしかありません。利己主義から利他主義へ、です。ちっぽけな個々人の時間の枠内に留まっていては何も解決出来ないということです。ひと一人の時間にもそれまで営まれた人類の膨大な時間が集積されています。我々は決してひとりだけの時間を生きている訳ではないのです。そこに思い馳せることで何かが変わっていくのだと思います。作品の質を優先するという姿勢もそれでスムーズに納得出来るはずです。もう一度長いスパンで仕事を(さらには我々の生そのものを)捉え直す時期に来ていると思うのです。
今思い付きましたが、あらゆるテスト撮影は公開されるべきかもしれません。守秘義務の問題はありますが、情報を公開すればそれは秘密でも何でもありません。そこで知り得た情報を先んじて実行したところで、剽窃したことは公に知れ渡ります。冷静に考えればそれは恥ずべきことどころか自分の首を絞めかねない。コストの面もそれで解決しそうです。
同じ文脈に立つと、どれだけ苦しい状況にあっても、囲い込み(保護主義的施策)は決してしてはならないことです。それによってどれだけ素晴らしい企業が躓いてきたか知るべきです。業界の牽引役であってしかるべき某グループがこの有様ではCM業界にもはや未来は無いのではないかとさえ感じます。自社グループの機材しか認めないなどもってのほかです。はっきり言いますが、自社の設備投資の失敗をフリーの人間に押し付けているようなものです。
今我々が陥っている袋小路は未来が見えないところから発しているように思います。見えないから不安で、目先のことにしか関心が持てない。よく考えれば、元々未来など見えたためしは無いのです。それでも人は未来を夢見ることで生きることが出来たのではないでしょうか。ドンドン抽象的な議論になってしまいましたね。ここら辺で止めておきます。

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スチールマン参入の功罪。[Merits and demerits of photographer 's entry.] 


2009.08.01(Sat)

木下さんに振られた話題をしつこく取り上げてみる。彼は今、米国で撮影修行中である。あちらに渡った経緯がどうであったか知らないが、現状の日本で仕事することに相当の危機感があっただろうということは想像に難くない。

ステーキ屋と蕎麦屋ですか。どちらがどちらとは言い兼ねますが、確かにそうかもしれないですね。新しい血が入ることはその業界が活性化することです。だからその意味でスチールマンの参入は歓迎されるべきものでした。私も彼らからかなりの影響を受けました。スチールマンの画の特長は、判り易さにあります。自分なりの色を出さなければ生き残れない世界にあっては当たり前のことです。これは誰それが撮った、とすぐに判ります。発注する方も「あのCMみたいに」と言えば済みます。CMにはまさにうってつけです。一方、ムービーキャメラマンは基本的には作品に添った画造りを心掛けてきました。荒々しいタッチの画が似つかわしいこともあるし、優しい絵柄がマッチする作品もある。その都度その都度、作品に合わせて画造りをしますから、撮影者の特徴はさほど色濃くは出てこない。ムービーキャメラマンの分が悪いのは当然でしょう。だからこそ、その仕事を正当に評価してあげる人がいなければならないのです。残念ながらそれが出来るのは少数の人です。

スチールマンのムービーへの参入は撮影部の前提を崩しました。それまでは撮影助手というのは、あくまでもキャメラ技術を習得する為の修行期間であると看做されてきました。一定の年月助手として修行すればキャメラマンになれる。だから安いギャラでも頑張りなさいと。私が助手だった頃はそれがまだ成立していました。
スチール出身者が盛んにムービーを廻すようになったのも私がチーフ時代のことです。最後にチーフをしていたのもスチール出身者の元でした。スチールマンがムービー撮影する際にはベテランの撮影助手が“サポート”するようにプロデューサーが差配したものです。本来ならそこで助手のギャランティーもそれに見合ったものにすべきでした。何故ならそこには既に師弟関係は見当たらないからです。ここでは完全なる分業体制が無ければ仕事が進んでいきませんでした。それを曖昧なままにしてしまったがため、ここにきてその歪みが出ていると思うのです。今、助手さんの技量の低下が盛んに言われますが、師弟関係を経ていない(=修行していないということです)のですから、それは当然のことです。分業が進んだけれど、技術の伝承はそこで断ち切られてしまったのです。人間関係も然りです。
ものの見方は手取り足取り教えるものではありませんが、人間同士の関係性は強く影響すると思います。口では言い表せない何かを敏感に感じ取る力はリアルからしか生まれてきません。

無論、CMへのスチールマン参入は四半世紀も昔のことで、今更出身を云々するのは意味のあることとも思えません。けれど、それまで閉じていた世界に新たな要素が参入してきたことで起る変化を検証することは、今後また起きるであろう新たな要素の参入に対しての何らかの心構えをする上で有効であろうと思います。デジタルなどはまさに新たな要素の参入です。次回はデジタルに関してもう少し突っ込んで考えてみようと思います。

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ギャラの話。[fee.] 


2009.07.30(Thu)

おとといのエントリー“道義”に対して、当ブログでお馴染みの木下さんからコメントを頂いた。こういう話はあまりしたくはないが、避けて通る分けにもいかない。かなり長い返事になりそうなので、今日は記事を書いてその返信にしようと思う。おそらく木下さんはキャメラマンの技量とその報酬が釣り合っていないことに苛立ちを覚えているのだと推測する。ただ色々考えると我々とて決して十分な報酬を頂いている訳ではないことが解って頂けるはずだ。

まずは世の中は不公平であるというのが大前提です。私が助手の頃の聞いていたキャメラマンのギャラと自分が独立してから頂いたギャラは値段的には変わっていません。物価上昇率を考えるとその差に驚きます。しかも当時はキャメラマンの数はさほど多くなかったですから、ひとりのキャメラマンの収入たるや現在の比ではなかったはずです。
次に個別の産業の構造を考える必要があります。CMキャメラマンが一線で活躍出来るのはおよそ10年と言われています。新陳代謝の激しい業界です。しかもCM業界で常に仕事をもらえているのは30人前後とも言われています。それはここ何年もずっと変わらないようです。それ以外のキャメラマンはかなり厳しい状況にあります。特に近年はその格差が広がっています。一方、会社員であれば定年まで勤めておよそ35年は働く事が出来ます。町工場で働く技術者もさして変わりはないでしょう。(尤も昨今の経済情勢からするとその前提は崩れていますが)
「意地と誇り」の側面を見ると、それをよいことに経営者側が労働者を安い賃金で使ってきたという状況があります。人は、賃金が安くてもそれで生活出来る限り、その職を簡単に辞めたりしないものです。私はCM業界の前には映画を志していましたが、プロデューサーがスタッフに安いギャランティをのませる為に「お前は映画が好きだろう?」と常套句のように繰り返すのを聞いて、ここに未来は無いと思いました。CMプロデューサーが100万円出せるというのならそれはそれでいいと思います。個々のキャメラマンの技量には当然、差がありますから、一概に100万円が高い安いは言えません。予算の規模もあります。そもそも一般労働者の労働対価を基準に私たちのギャランティーを云々すること自体ナンセンスです。
私が問題にしたいのは以下のことです。演出家がいて同じような内容の仕事をしていても、スチール出身者とムービーキャメラマンではそのギャランティーに大きな開きがあるということです。ムービーキャメラマンは動く画の専門家です。いわば専門家の方がその専門性を正当に評価されないということが問題だと思うのです。これには様々な問題が絡んでいるのでしょうが、一番の原因は日本のシステムではプロデューサーが機能していないということではないかと思います。スタッフのギャランティーをその能力において評価出来るのはプロデューサーをおいて他にありません。しかし日本ではその権限がいつの間にか無くなってしまっています。正当に評価する機能がなければ、ネームバリューの高い人が選ばれるのは当然の成り行きでしょう。
若い人は確実に減っています。レベルも良いとは言えません。ギャラが良くなければ優秀な人材は決して集まりません。それだけのことです。CM業界もまた、他の業界同様、負のスパイラルに陥っています。おそらくギャラが1/10まで落ちたら業界全体が立ち行かなくなってくるでしょう。「意地と誇り」は始めから身に付くものでもありますまい。漠然とした憧れはその実態を知ればいとも簡単に崩れてしまうものです。

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カメラの作法~北原さんへ。[Methodology of camera~To Mr.Kitahara.] 


2009.03.01(Sun)

北原さんが指摘したとおり、わたしがRED ONEというカメラをチョイスしたのはこのデジタルカメラがムービーカメラの延長線上にあるからです。ムービーカメラとビデオカメラの最大の違いは何処にあると思いますか?それは大写しを想定して作られているか否かの違いです。つまりスクリーン(私が勝手に決めた基準では縦が人の背丈を超える高さ=一間以上のことです)上で観賞に堪えうる画を撮ることが出来るかどうか、です。REDカメラユーザーの中にはビデオカメラマンが大勢いらっしゃいますが、REDを巡る混乱の一つはここにあります。私には、彼らがこのカメラを選択した理由が今イチ解りません。彼らは映画館のスクリーンに自分が撮影した映像が投影されることを想像していないはずです。これは宝の・・・、猫に・・・ここまでにしておきます(また挑発的なことを書いていますね。これ以上書くと炎上しそうです(^_^;)。私は一介のCMキャメラマンに過ぎませんが、撮影に臨む時は自分の画がいつでもスクリーンに上映されてもいいようにしているつもりです。
ここ何年かで盛んにHDで映画が撮られるようになりましたが、映画館で観ると無惨な程眠い画が多い。1080の解像度でもまだ大写しは無理なのだと思います。AFIがデジタルシネマの基準を決めたのが去年だったと思いますが、35mmと同等のクオリティとしてデジタル4K(実際にはフィルムは7Kから8Kの解像度があると言われています)を策定しました。つまり4Kなら何とか鑑賞に堪えられるというお墨付きです。今後十年以上はこれは覆らないでしょう。
REDと言うカメラはおそらくは元々軍事用に開発されたものですが、戦場で耐えられるものでないとムービーカメラとしても不充分なのです。その出自からしてムービーカメラとして使われるべく生み出されたものです。今REDユーザーの中で密かにシネレンズの争奪戦が起きています。精度の悪いレンズは大写しにすれば粗がすぐ判ってしまう。ボディーは画期的に安いけれど、それ以外の周辺機材はクオリティの高いものを使わざるをえない。結局、誰もが手を出せるのはボディだけです。クオリティーを大事にしなければ満足な画は撮れません。私には、REDの登場が、それを使う者の映像に対する姿勢を問いかけているように思えるのです。カメラがキャメラマンを選ぶ。面白いと思いませんか。誤解を恐れずに言えば、巷間盛んに議論されている細かなことは私にとってはどうでもいいことです。自分が使う状況と目指すクオリティを想定してテストすれば良いことです。後は現場での工夫次第です。完璧なものはありません。新しい道具は新しいものの見方を教えてくれる。それで良いじゃないですか。もっとシンプルに考えたら良いと思います。現在のREDを巡る議論の多くは道筋が逆のような気がします。
返す刀で「システム」も斬ってしまうと、わたしはまだこれと言って具体的な落とし所を思い描いているわけではありません。ほとんど動物的な臭覚です。今まで当たり前に思われてきたことのほとんどは機能しなくなる。その思い込みだけです。今村さんのオフコマに反応したのも、そこから何かが生まれてくるかも知れないと言う自分の予感を信じたからに過ぎません。今はバラバラになったパズルのピースがようやく所々で形を作り始めたばかりではないかと思います。一つだけはっきり言えることはドメスティックでは行き詰まるということです。これからの変化は相当面白いし早いですよ。

2月の初めから北原さんとの間で交わされたメールは当ブログに公開したものだけで12通に及ぶ。その中で私たちは映像現場の問題を多岐に渡って話し合ってきた。ふたりを突き動かしてきたのは、言うまでもなく、映像制作の現状に対する危機感である。『おくりびと』がアカデミー賞を獲ったことは喜ばしいが、依然として映画業界は貧しい。あの木村大作氏でさえ一時期仕事が無くアルバイトをしていたと聞く。このような状況は世界を見回しても日本だけである。CM業界とて、かつての勢いは無く、予算も時間も大幅に削られ制作本数も激減している。他のフィールドでも同じことが起こっている。それでもクオリティが落ちないでいるのなら希望は見えていようが、モノ作りの現場からはクオリティを追究する姿勢すら無くなりつつある。世界的な経済状況の悪化は致し方の無いこととしても、下部構造の揺らぎに反応してガタガタになってしまうような上部構造しか生み出せなかった戦後のシステムにはやはり相当な問題がある。
一朝一夕にそれを変えることは出来ないが、新たなシステムを再構築するために、先ず我々に必要とされるのはもう一度自分の立ち位置を確認する作業である。私たちの会話がその切っ掛けの一助になれば幸いである。それと同時に我々は走り出さなくてはならない。時代は大きく変わる。誰もがサバイバルの時期を迎えている。その恐るべきスピードについて行くには走りながら考えないと間に合わない。そんな時、私たちの会話がものを考える上で何らかのヒントに成るならこんな嬉しいことは無い。今後更に議論を深化させるつもりだが、我々ふたりだけではいかにも不充分である。もっと多くの人が発言してくれることを望んでいる。尻込みしていては何も変わらない。この場をどんどん利用してくれたら良い。自分で場を設けるよりはずっと簡単ではないだろうか。

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