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2012.01.01(Sun)

明けましておめでとうございます。

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本年も宜しく御願い致します。

大木スミオ
2012年 元旦
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自分と違う世代と組んでみたら良い。 


2011.06.05(Sun)


撮影所や制作会社に余裕があった頃は人を育てるシステムがちゃんとしていたように思う。若い演出家には必ず、ベテランのプロデューサーや技術部が付いて彼らをサポートする体制が組まれていた。演出家のみならず、新人キャメラマンにはしっかりとした照明技師、経験の少ないプロデューサーには経験豊富な演出家、と言った具合に新旧のバランスが巧くとられていた。人を育てるという面からだけでなくクリエイティヴ面でも、世代のごった煮は刺激的である。
僕は始めから町場の人間だが、それでも駆け出しの頃は、ベテランの演出家や巨匠と言われる照明技師と組ませてもらっていた。こいつはキャメラマンとしてどうだろうかと言う諸先輩の眼差しは新人には緊張を強いるものだが、同時に有り難くもあった。そこで得たものはかけがえのないものであった、と今では思う。現在では人を育てるなどと言う余裕がないせいか、ベテランはベテラン同士、若い人は世代の近い者同士で小さくまとまってしまっていて、各世代間の交流が少ないように思う。ベテランになればどうしても新しい発想が出てこなくなる。同世代同士の仕事は気心が知れている分、楽ではあるけれど、もの作りとしてはこじんまりと収まってしまう。逆に、若い人達は発想は新鮮でも、それを作品として昇華させる事となると些か心許ない。どちらにとっても、違う世代と組むことはメリットの方が大きい。
以前なら当たり前の様になされていた世代間の補完関係も、今では個々人が意識的にスタッフィングして行かないと実現出来ない。ベテランと呼ばれ、スタッフを見回せば自分が一番年上であることの多い様な僕が言うと、然も営業的にとられるかもしれないが、純粋に、若い人達と組んでみたいと思う。もっともっと刺激が欲しいのだ。僕でなくとも、ベテランはベテランに成るほど若い人達とやりたくなるものだ。照明の佐野武治さんと初めて組んだ時、僕のような者にしてみれば畏れ多い、と言うと、同じ様なことを返された記憶がある。だから、まだ30代ならどんどんベテランの力を借りるべきである。無論、今までずっと一緒にやって来たスタッフは僕にとって欠け甲斐のない財産であるが、彼らと信頼関係を築いたのは40代に入ってからのことである。

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師匠。[My master.] 


2009.12.17(Thu)

モービル石油のCM「気楽に行こうよ」が’作られたのが’71年、オイルショックがその2年後に起った。未来を予言していたようで今更ながらCMにもそのような力があるのだと驚かされる。その作品のなかで鈴木ヒロミツ氏と並んで立ち小便をしていたサングラス姿の御人がKさんである。大分前に私たちの業界を引退され和歌山に住んでいるが、ちょくちょく東京にも出向かれる。Mさん(彼も元業界人)のバーにいらっしゃるというので顔を見せに行くことにした。お会いするのは5年ぶりぐらいだろうか。御病気されたこともあり私の知っているKサンよりは一回り小さくなった印象だが、元気そうなご様子だった。
四方山話の中で、冒頭のCMが話題に上がった。オイルショックが起きた時、当時最大手の広告制作会社、日本天然色映画の内部では自動車のCMを打つベきか否かが真剣に議論されたと聞いてまたまた驚いた。CMと時代が直截的にリンクしていた時代、CM制作者は自分たちが作るCMに対しての根本的な立場をその都度何度も何度も問い直していたのだ。あの頃とは状況はまるで違うし、今はもっともっと深刻だろうが、そのような話を聞いたことはない。私が知らないだけのことかも知らないが、今のCM業界でそのような事を真剣に考え、態度決定している人が何人いるのだろうか。ものづくりの現場ではそれに向かう作り手の態度が出来上がった作品の質を左右する。そのことを鑑みれば、その問いの答えは自ずと知れるだろう。
業界を離れて何年も経つというのに、私以外にも何人もの人たちがKサンを慕ってここにやって来た。そう言った人間になりたいとつくづく思うのである。Kさんは私にとって未だ越えることの出来ない”師匠”である。

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もっと話そう。[Let's talk about, more.] 


2009.08.25(Tue)

CM制作にはスポンサーの要望があり、CDの企画意図があり、演出家の企みがあり、スタッフ各人の解釈がある。そのどのプロセスひとつ欠けても作品は成立しない。特にスタッフ間でどのような仕上がりを目ざすのか意思統一が出来ていなければ、決して良い作品は生まれてこないだろう。ひとつの作品を仕上げるプロセスにおいて、現在、決定的に欠けているものはどのような映像にするのかというスタッフ間の対話ではないだろうか。
キャメラマンと演出家(両者の関係が作品の方向性を決める上で一番重要である事は言うまでもないが)のみならず、夫々のパート間でアイデアの交換が十分に行われていれば効率も上がるだろうし、より良いものが出来上がるはずである。いつものスタッフだからといって通り一遍の打ち合わせだけでは不十分ではないだろうか。暗黙の了解など無きに等しいと思って間違いはない。
分業が進み、ポスプロ時の自由度が上がった結果として、仕上がりのイメージを持っているのは演出家ひとりという事がしばしばある。それすら、場合によっては様々な事情によって覆されてしまう。結局誰もが仕上がりに確信を持てないまま仕事を進めざるを得ない。これなどコミュニケーション不足以外の何ものでもないと思う。有能な人間であればバラバラのピースをまとめてそこそこの作品にしあげることは可能だろうが、彼が如何に優秀であれ、それ以上のものは望めないだろう。それに関わる全てのスタッフ相互の対話の中からしか新しいアイデアは生まれてこないし、共通の理解や目標がないまま進められる仕事とは、とどのつまり、スタッフの個性を消費しているに過ぎない。コミュニケーションツールの発達と反比例するように相互理解の度合いが減っているように思えるのは皮肉なことである。
とまれ、進歩のない仕事など糞食らえである。作品に携わる度に新しい何かが無ければこの仕事を選んだ意味も無い。常に新しい事に挑んでいきたいと思うのだ。そしてそれは決してひとりの頭の中では実現出来ない。他者の考え方が自己を強化するのだと思う。だからもっと話をしよう。

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CMキャメラマン失格?[CM cameraman disqualification?] 


2009.08.16(Sun)

黒部川河口
CMの難しさのひとつは言うべきことを極めて短い時間の中に如何に効率よく詰め込むことが出来るか否かにあるだろう。実に欲張りな要求であり、それ故、時に絵空事として捉えられかねない画を提供せざるを得ない。例えば、美しい風景に見蕩れて暫し人が佇んでいるとしよう。映画(やドラマ)ならその美しい風景とそれを眺める人の表情とをカットで繋げばことは済む。ところがCMの場合そう簡単ではない。時間の制約から同じ画面の中に二つの要素(しかもそれらはしばしば矛盾する)を入れ、どちらも際立たせるという離れ業を常に要求されるのである。大方の場合、美しい風景をバックに正面向きに人を立たせる事になる。何年やっていてもこのことに馴染めないでいる。このような理屈に合わないこともヌケヌケとやってしまえれば良いのだけれど、それこそがCMであるとは割り切れないわたしはCMキャメラマン失格なのだろうか?

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