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さもなければ夕焼けが
2011.12.31(Sat)
拍子木の音が何処からか聞こえている。もうとっくの昔に廃れてしまっていたと思っていた火の番が今も機能していることに軽い驚きを覚える。2011年があと数時間のうちに終わる。人生二度目の独りだけの大晦日。わたしにとってこの一年はあまり良い年だったとは言えない。それでも、振り返ってみれば、長く辛い日々の中に僅かながらも希望を見出す事が出来たように思う。
時間は決して後戻りを許さない。いかなる想いも全ては時の彼方に消え去る。いずれは滅んで行く生命なら、今生きていること、私が“私”であり続けようと思い悩むことに大した意味は無い。変わらない“私”などないのだ。確実なことは何も無い。苦しいのは今いる場所に留まることが出来ないからだ。生きるという事は外部(他者と言い換えてもいい)との関係性において絶えず変化を強いられるという事なのだ。だから今日一日を良く生きること。そして変化を恐れないこと。3・11とそれに先立つこと一年前の妻の死が教えてくれたことである。
blogの更新は半年振りのことである。気まぐれにもほどがあるが、柄にも無く、ちょっとばかりの感傷が愚考を促したに過ぎない。この程度の拙文を書くのにも四苦八苦の有様である。やれやれ。
震災直前に出版された丸山健二の随想の題名になった詩の一節がある。この短い引用だけでは底抜けのオプティミズムしか感じられないが、この暮れになっても未だ妙に心に残っている。丸山氏の随想を読むことを薦めておこう。
われわれにとって
何か
もっとよい未来が
あるにちがいない。
さもなければ
夕焼けが
こんなに美しいはずはない。
(ヨハン ・ペーター・ ヘーベル)
さて、皆様にはよりよい明日が訪れますように。今年一年お疲れ様でした。
時間は決して後戻りを許さない。いかなる想いも全ては時の彼方に消え去る。いずれは滅んで行く生命なら、今生きていること、私が“私”であり続けようと思い悩むことに大した意味は無い。変わらない“私”などないのだ。確実なことは何も無い。苦しいのは今いる場所に留まることが出来ないからだ。生きるという事は外部(他者と言い換えてもいい)との関係性において絶えず変化を強いられるという事なのだ。だから今日一日を良く生きること。そして変化を恐れないこと。3・11とそれに先立つこと一年前の妻の死が教えてくれたことである。
blogの更新は半年振りのことである。気まぐれにもほどがあるが、柄にも無く、ちょっとばかりの感傷が愚考を促したに過ぎない。この程度の拙文を書くのにも四苦八苦の有様である。やれやれ。
震災直前に出版された丸山健二の随想の題名になった詩の一節がある。この短い引用だけでは底抜けのオプティミズムしか感じられないが、この暮れになっても未だ妙に心に残っている。丸山氏の随想を読むことを薦めておこう。
われわれにとって
何か
もっとよい未来が
あるにちがいない。
さもなければ
夕焼けが
こんなに美しいはずはない。
(ヨハン ・ペーター・ ヘーベル)
さて、皆様にはよりよい明日が訪れますように。今年一年お疲れ様でした。
category: 日々是好日 Days
自分と違う世代と組んでみたら良い。
2011.06.05(Sun)
撮影所や制作会社に余裕があった頃は人を育てるシステムがちゃんとしていたように思う。若い演出家には必ず、ベテランのプロデューサーや技術部が付いて彼らをサポートする体制が組まれていた。演出家のみならず、新人キャメラマンにはしっかりとした照明技師、経験の少ないプロデューサーには経験豊富な演出家、と言った具合に新旧のバランスが巧くとられていた。人を育てるという面からだけでなくクリエイティヴ面でも、世代のごった煮は刺激的である。
僕は始めから町場の人間だが、それでも駆け出しの頃は、ベテランの演出家や巨匠と言われる照明技師と組ませてもらっていた。こいつはキャメラマンとしてどうだろうかと言う諸先輩の眼差しは新人には緊張を強いるものだが、同時に有り難くもあった。そこで得たものはかけがえのないものであった、と今では思う。現在では人を育てるなどと言う余裕がないせいか、ベテランはベテラン同士、若い人は世代の近い者同士で小さくまとまってしまっていて、各世代間の交流が少ないように思う。ベテランになればどうしても新しい発想が出てこなくなる。同世代同士の仕事は気心が知れている分、楽ではあるけれど、もの作りとしてはこじんまりと収まってしまう。逆に、若い人達は発想は新鮮でも、それを作品として昇華させる事となると些か心許ない。どちらにとっても、違う世代と組むことはメリットの方が大きい。
以前なら当たり前の様になされていた世代間の補完関係も、今では個々人が意識的にスタッフィングして行かないと実現出来ない。ベテランと呼ばれ、スタッフを見回せば自分が一番年上であることの多い様な僕が言うと、然も営業的にとられるかもしれないが、純粋に、若い人達と組んでみたいと思う。もっともっと刺激が欲しいのだ。僕でなくとも、ベテランはベテランに成るほど若い人達とやりたくなるものだ。照明の佐野武治さんと初めて組んだ時、僕のような者にしてみれば畏れ多い、と言うと、同じ様なことを返された記憶がある。だから、まだ30代ならどんどんベテランの力を借りるべきである。無論、今までずっと一緒にやって来たスタッフは僕にとって欠け甲斐のない財産であるが、彼らと信頼関係を築いたのは40代に入ってからのことである。
category: CMのはなし About C.M.
気仙沼に行ってきた。
2011.05.01(Sun)

油やタイヤが焼けた様な臭いとともに生臭さが圧となって街全体を覆っている。壁を引きはがされむき出しになった生活、地べたに散乱 した日常品の数々、焼けただれ一体元は何だったのか判別出来ない黒い固まり、あるべきでないものがあり得ない所に平然とあるシュールな光景。
category: 日々是好日 Days
状況は刻々と変わっていく。(その3)
2011.03.13(Sun)
危機に瀕した時の態度でその人の度量を推し量ることが出来る。今、我々は試されているのだ。情報伝播のスピードの不均衡さはどうにもならないが、未確認情報に無闇に反応しない、自分の発言が全体にどういった影響を及ぼすかを考える、専門外のことに口を挟まない。それが正しい情報を流通させる唯一の方法だ。それぐらいなら余程の莫迦でもない限り誰にでも出来る。
福島原発の事故は少なくとも今のところ僕の最大の関心事だが、正直に言えば、僕が本当に知りたい事といったらふたつしかない。放射性物質を浴びない為にどうしたら良いか(被害を最小にする為に関係者はどのような対策を講じているのか、現場からどれだけ離れれば安全か、廃炉も含めて正常に戻すまでどれだけ時間が掛るか)。そしてもし浴びてしまった場合、人体にどのような影響があるか(被爆量との関係)。取り敢えず、原子炉の是非は今回の危機を乗り越えてから後でじっくり議論すれば良い。今まで議論されなかったのはマスコミが充分な情報を一般に提供出来ていなかったからだ。
その為にも公的機関は楽観的、悲観的な観測を問わず、その持つ情報全てを速やかに提供すべきである。そしてマスコミはその情報をレッテルを貼らずにそのまま提供するべきだ。保安院の会見でも始めから結論を引き出そうとするような記者の態度が見られたが、我々が欲しいのは紋切り型の情報などではない。一般人はそれほど馬鹿ではない。いざとなれば人は大方正しい判断を下すものだ。不確かな情報は人心を惑わせ、不安を煽るだけである。
切羽詰まった時にこそユーモアが必要である。尤もな考え方である。しかしそれとて条件がある。他のことを考える余裕がない時にろくに知りもしない人から笑えと言われて笑えるものではないだろう。近親者を亡くした人がいる。家財を失った人がいる。大切な人の安否すら判らない人がいる。この先どうして生きていったら良いか呆然としている人もいる。そのような時、心は思いっきりその入り口を閉ざしているものだ。もしかしたら莫迦にされたと感じるかもしれない。顰蹙を買うとはそう言うことだ。今はまだ、励まし、或は同情を寄せることだけで充分だと思う。
福島原発の事故は少なくとも今のところ僕の最大の関心事だが、正直に言えば、僕が本当に知りたい事といったらふたつしかない。放射性物質を浴びない為にどうしたら良いか(被害を最小にする為に関係者はどのような対策を講じているのか、現場からどれだけ離れれば安全か、廃炉も含めて正常に戻すまでどれだけ時間が掛るか)。そしてもし浴びてしまった場合、人体にどのような影響があるか(被爆量との関係)。取り敢えず、原子炉の是非は今回の危機を乗り越えてから後でじっくり議論すれば良い。今まで議論されなかったのはマスコミが充分な情報を一般に提供出来ていなかったからだ。
その為にも公的機関は楽観的、悲観的な観測を問わず、その持つ情報全てを速やかに提供すべきである。そしてマスコミはその情報をレッテルを貼らずにそのまま提供するべきだ。保安院の会見でも始めから結論を引き出そうとするような記者の態度が見られたが、我々が欲しいのは紋切り型の情報などではない。一般人はそれほど馬鹿ではない。いざとなれば人は大方正しい判断を下すものだ。不確かな情報は人心を惑わせ、不安を煽るだけである。
切羽詰まった時にこそユーモアが必要である。尤もな考え方である。しかしそれとて条件がある。他のことを考える余裕がない時にろくに知りもしない人から笑えと言われて笑えるものではないだろう。近親者を亡くした人がいる。家財を失った人がいる。大切な人の安否すら判らない人がいる。この先どうして生きていったら良いか呆然としている人もいる。そのような時、心は思いっきりその入り口を閉ざしているものだ。もしかしたら莫迦にされたと感じるかもしれない。顰蹙を買うとはそう言うことだ。今はまだ、励まし、或は同情を寄せることだけで充分だと思う。
category: 日々是好日 Days

